島本和彦プロフィール

| 1946年: | 8月18日東京都世田谷区生まれ。 |
| 1962年: | 私立玉川学園高等部入学。 |
| 1965年: | 玉川大学文学部教育学科入学。 |
| 1969年: | 玉川大学卒業後、玉川大学出版部入社。玉川児童百科大事典、玉川教育新書の校正を担当。 |
| 1970年: | 株式会社主婦の友に契約社員として入社。大手出版社の編集方法を学ぶ。 |
| 1972年: | 日本文化出版株式会社に入社、月刊バレーボール配属。 |
| 1973年: | 月刊バスケットボール創刊。創刊編集者となる。モスクワ・ユニバーシアード取材。特集として創刊号を編集。 |
| 1975年: | 月刊バスケットボール編集長となる。 |
| 1976年: | モントリオール・オリンピック特集号編集(臨時増刊)。 |
| 1978年: | 初めてNBAをアメリカ現地で取材。 |
| 1979年: | 大津インターハイ特集号編集(臨時増刊)。高校バスケットボール初の特集雑誌として注目を浴びる。 |
| 1980年: | 小学館発行週刊少年サンデー「ダッシュ勝平」六田登氏のバスケコミックのコンサルタントを務める。 |
| 1981年: | NBAオールスターチーム来日に伴いオフィシャル・プログラムマガジンとして全米プロバスケットボール・オールスター戦特集号(別冊)を編集。 |
| 1983年: | NBAプレドラフト・トーナメントのアロハ・クラシック(ハワイ)を取材すると同時に、日本開催のための交渉をスタート。以後88年まで毎年取材と連続交渉を続ける。 テレビ東京にてNBAオールスター戦(ロサンジェルス)のコメンテイターを初めて務める。 |
| 1984年: | ロサンジェルス・オリンピック取材。 |
| 1985年: | アジア・バスケットボール連盟のエディトリアル・コミッティーメンバーに任命され、ABC25周年記念誌の編集にあたる。 |
| 1986年: | ABC25周年記念誌編集の功績によりアジア連盟より表彰され感謝状を贈られる。アジア選手権(クアラルンプール)、アジア大会(ソウル)取材。 |
| 1987年: | NBAオールスター戦(シアトル)取材を皮切りに1か月間約20試合をアメリカ全土で取材。 |
| 1988年: | 日本文化出版取締役に就任。 KBS京都、テレビ東京にてNBAスーパーシリーズのコメンテイターとなる。パートナーは青山香乃アナ、北原憲彦アナリスト。 NHK衛星放送のテスト放送でNCAA(全米カレッジ)バスケットボールのコメンテイターを務める。 |
| 1989年: | NHK衛星放送の本放送のNBAコメンテイターとなる(〜継続中)。 第1回ジャパンクラシック(アロハクラシック・ジャパン)の招聘に成功。以後91年の3回大会まで開催。 NCAAファイナルフォー(シアトル)を取材。 |
| 1990年: | NBA公式開幕戦で伊藤忠商事へのコンサルタントを行う。 NBAオールスター戦(マイアミ)取材。 |
| 1991年: | WOWOW試験放送でNCAAカレッジバスケットボールのコメンテイターを務める。パートナーは坂信一郎アナ、奥野俊一、北原憲彦アナリスト。 ストリート・バスケットボール=3on3の大会を日本で最初に開催。HOOP-IT-UPの名称でスポーツメーカーのスポーツマンシップ主催で全体プロデュースを行う。以後爆発的に日本で流行する。 NBAオールスター戦(シャーロット)取材。 |
| 1992年: | SPORTS−i(ジャパン・スポーツ・チャンネル)の番組審議委員に就任(〜1997年)。 NHK衛星放送ライブ・オン・サンデーのNBAキャスターを小平桂子アネットMCと務める 集英社・週刊少年ジャンプのIN YOUR FACEという連載企画がスタート(〜1996 年)。 NBAオフィシャルビデオ(ソニー・ミュージック・エンターテイメント)全56巻(〜1998年)の監修とライナーノーツの執筆スタート。 集英社発行月刊ジャンプ「ロサンジェルス・レイカーズ物語」のコンサルタントを務める。 NHKハイビジョン放送でNBAファイナル(シカゴ・ブルズ対フェニックス・サンズ)全7試合をアナウンサーなしで奥野俊一アナリストと放送。 NHK衛星放送。BSスポーツニュース(メインキャスター/青島健太氏)でNBA担当コメンテイターを務める。 SPORTS−IでNCAAカレッジバスケットボールのレギュラー・コメンテイターを務める。:DID YOU KNOW?の連載をHOOP誌で開始(UNCHIKU GANCHIKU、島本総研で継続中)。 |
| 1994年: | 電通主催「スポーツ文化フォーラム'94」のコーディネーターを務め、“世界のプロスポーツ"、“日本のスポーツのプロ化"の2講座を担当する。 バスケットボール日本初のトレーディング・カード日本語版の翻訳を担当。日本語版をアッパーデック/バンダイより発行する。 ドリームチームの出場したトロント世界選手権を取材。 技術ビデオ、ピストル・ピートのアメリカンバスケット・スーパーテクニック・ベイシックレッスン全4巻(ポニーキャニオン)を監修。 NBAオールスター(ミネソタ)取材。 |
| 1995年: | 日本初の誰でも参加できるバスケットボール・クリニック、ファイブスター・キャンプを岡山恭崇氏をヘッドコーチにスタート。キャンプディレクターとなり、アメリカナイズされた楽しい1DAYキャンプで大評判となっている(〜継続中)。 福岡ユニバーシアード取材。同時にRKB毎日放送でコメンテイターを務める。 NBAオフィシャルファンクラブ、スタート。NBAの依頼によりファンクラブ代表に就任(〜1997年)。 「マイケル・ジョーダン 鳥人の軌跡」(FM東京出版)監修。 |
| 1996年: | 月刊社会民主党にスポーツコラムを執筆。 通産省の「フットサル、3on3による商店街活性化研究会」委員に任命される。 「マイケル・ジョーダン コンプリートブック」(FM東京出版)監修。 |
| 1997年: | AOL JAPAN(アメリカン・オンライン・ジャパン)ホームページにNBA29チームを車で訪問取材するマーチ・マッドネス・ツアーの記事を執筆。 NBA雑学バイブル/DID YOU KNOW?発刊(日本文化出版) SPORTS-i/ESPNでNBAのレギュラー・コメンテイターを務める(〜1999 年)。 BUAC(バスケットボール・ユニバーシアード・アニバーサリー・カップ)のコメンテイターを福岡朝日放送で務める。 NBAオールスター(クリーブランド)取材。 |
| 1998年: | NBAオフィシャル・ファンクラブの休止に伴い、メンバーの熱い要請に断り切れず、HOOP HYSTERIA BASKETBALL FAN CLUBを創設(〜継続活動中)。 NHK総合放送「おはよう日本」でNBAロックアウトのコメントを求められる。 JBL(日本リーグ)の引退選手の最後のゲーム、ハッピー・リタイアメント・ゲームのプロデュースを務める(〜継続中)。 MICROSOFT SPORTSで1シーズンNBAコラムを執筆。 |
| 1999年: | J-WAVE(FMジャパン)にてNBAインフォーメーションのコメンテイターを務める。 シドニー・オリンピック予選アジア選手権のコメンテイターをRKB毎日(福岡)放送で務める。 HOOP HYSTERIA BASKETBALL FAN CLUBのホームページ開設。 |
| 2000年: | 成城大学文芸学部言語思考論B-IVの総合講座、「文化としてのスポーツ」にて”世界のプロスポーツとしてのNBA”の授業を行う(〜2001)。 日本リーグ、新潟アルビレックスのファンクラブ会報誌をプロデュース。 小学館週刊ヤングサンデーの「未来の絶対0度」堀口純男著のコンサルタントを行う。 主婦の友社BOYS RUSH誌にスポーツコラムを連載執筆(〜2002)。 日本初のプロバスケットボールチーム、新潟アルビレックスのオフィシャル・ブースター・マガジンをプロデュース。編集はHOOPHYSTERIAのスタッフで行う。(〜2001年) |
| 2001年: | NHK総合放送「NBAマガジン」のメインキャスターを務める(〜2002)。 井上雄彦氏オフィシャルホームページにて「なんでも楽しくトライしよう」略称「なんトラ」連載開始(〜継続中) 東京都狛江市のスポーツ振興審議会委員に選ばれ、同委員会の副会長に任命される。(〜継続中) |
| 2002年: | J SKYスポーツ(現J sports)でNBAのレギュラー・コメンテイターを務める(〜継続中)。 ボー・バスケットボール・トーナメントの大会顧問として日本の男女一般プレイヤーをTeam Shimamotoとして引率、現地のアメリカチームとのゲームをプロデュース。(〜2004) 新潟アルビレックス・オフィシャル・ブースター・マガジン(年6回刊)でコラムを連載開始。(〜継続中) 秋田県能代市で行なわれる加藤廣志杯熟年バスケットボール選手権(40歳以上)の取材にあたるとともに、東京チームコーチに任命される。(〜継続中) 東京チームアシスタントコーチに任命される。(〜継続中) |
| 2003年: | 日本航空、JTB、ハワイ州政府観光局が協力して運営するホノルル・スポーツ・フェスティバルのレインボー・バスケットボール・トーナメントの大会顧問として日本の男女一般プレイヤーを引率、現地のアメリカチームとのゲームをプロデュース。(〜継続中) マガジンハウス発行 relax誌12月の”サンデーピープル”に取材を受ける。典型的な若者向けのスタイリッシュな雑誌に初めて登場。 |
| 2004年: | NBAオールスター戦(ロサンジェルス)取材。同時にロングビーチ・ジャムの田臥勇太を取材。 毎日新聞スペシャル・イシュー”AMITY”日本交流150周年記念特集にアメリカン・ドリーム、田臥勇太の記事が掲載される。 日本初のプロバスケットリーグの名称案の提出を創設準備委員会より求められ、basketball japan (通称bj)を提案、採用される。 bj・大分ヒートデビルズのチームコンサルタントを務める。(〜継続中) TBSラジオ“石井竜也の舞台裏物語”に出演、マイケル・ジョーダンについて大いに語る。 意学環境研究所出版部より発行の書籍 “Be Professional 人のプロをめざそうよ”加寿施京子著 をプロデュース。 |
| 2005年: | bj・大分ヒートデビルズのPR担当顧問に就任、ファンクラブ会報誌“地獄通信”の編集長となる。 大分ヒートデビルズと共催で日田、臼杵でファイブスター・キャンプを開催。 ラジオ日本、マット安川氏の“マネースポーツ”に出演bjの紹介と将来を語る。 bjのTV解説をスタート(新潟アルビレックスの地元開幕戦、大分のホームゲームなど…)。 日本バスケットボール振興会、歴史編纂プロジェクト(現歴史編纂部会)のメンバーとなる。 NBAグレイテストゲーム(J Sports)の解説をスタート(〜継続中)。 |
| 2006年: | 第14回FIBA世界選手権(スカイパーフェクTV)の特番“世界バスケへの道”に出演。 世界選手権アメリカ大陸予選、アフリカ大陸予選、ヨーロッパ大陸予選を解説。 世界選手権特番“大会直前座談会”に出演。 第14回FIBA世界選手権をアメリカチームを中心に13ゲームを解説。 |
| 2007年: | 「今後のスポーツ人口の裾野を拡げるための研究調査」(社団法人 スポーツ産業団体連合会)の調査委員となる。 アレン・アイバーソン自伝「もうなにも恐れない」イーストプレス社にて発刊。人気者AIの初の書籍だけに売れ行き好調を持続。 |
| 2008年: | 狛江市「地域スポーツクラブ発足準備委員会」委員となる。2009年に発足予定。 FM東京「サントリー・サタデー・ウェイティングバー“アヴァンティ”に2度目の出演。 |
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